「ミッキーマウスのプロレタリア宣言」と梅ちゃんのこと1

 遅ればせながら平井玄さんの著書「ミッキーマウスのプロレタリア宣言」を読む。
 とってもおもしろい。
 


 実は今まで平井さんの著書は論理的には優れていても、文章としてのめり込めるかというと教科書的な堅さがそれを邪魔していて、なかなか読みづらかったのだ。(平井さん、すみません。)

 「ミッキーマウスのプロレタリア宣言」がなぜ面白いかというと、徹底的に自己を客観視して、あくまで自己の立ち位置から始めてそこから社会分析まで到達しているから。
 
 50才過ぎた人間が自分を客観視する事は難しい。何故なら今までの自分を必ず否定する事になってしまうからだ。今までの自分に100パーセント満足している人間などいるはずもない。
 日々のちょっとした不満や小さい満足の連続の中に自分を埋もれさせる方が楽なので、今までの自分を客観的に考える、なんてしんどいことは出来ることではない。

 つまらない自己顕示欲にからめられた自己史でもなく、「社会」を外から批評するのでもなく、あくまで自分も「社会」の一部である、という当たり前の事実をはっきり見据えた優れた本だと思う。

 ところでこの本の中でも50歳以上のいわゆる全共闘世代が何かを語るときに必ず出てくるするターム、「連合赤軍ー浅間山荘事件」「連続射殺魔ー永山則夫」が登場する。

 そういった事柄が旗印ーこの場合はその旗の元に集うという旗ではなく、論功の基準となる旗といったようなことーにならざるを得なかった時代のこともちょっと考える。

 政治的社会的事件が文化と密接に関係していた時代のことだ。

 自分の世代のことを考えれば、そういう旗印は多分「パンクの登場」ということになるのだろう。政治的社会的事象とは殆ど関係ない。深く考えればあるのかもしれないけど、少なくともフャッションや文化の地平でのことだけなのだ。

 でも、社会的事象と文化が関係ないわけはなく、見えないだけでいつも深く関係しているのだけど。
 関係ないように思わされているのか、思うようにしてしまったのか。

 長くなったので、「ミッキーマウスのプロレタリア宣言」にも登場する梅ちゃんのことは次に。
 

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