コメントの追加です。
沢山の方にコメントいただきましたが、これで最後になります。
有り難うございました。
●木村千秋(ミッシング箱庭)
よく考えてみると、私は穂高亜希子さんと、出会ってから、長い時間が経ちました。
とても、たくさんの出来事があり、どうしても、これから読んでいただく文章の中でも「穂高さん」と呼べませんでした。(挑戦したのですが、なんだか嘘っぽくなってしまって。。。「穂高さん」と呼ぶのが、自分は歯がゆいのです。)
なので、親しみ深い「ほたちゃん」という、呼び名で書いています。
読んでくれてる方で、イメージしにくようだったら、ごめんなさい。
ほたちゃん(穂高亜希子さんのこと)は、とても「はだか」なひと。
「さらけ出す」って感じるときもあるけど、そんなときは、なんていうか、がんばってそうしていたんだろう。
今の自分をひとつたりとも残すことがないように。
やわらかいところを護る為に、硬い鎧をつけてしまった ひとにも届くような うたを。
鎧の中のからだの中のもっと中に届けるには、どうしたらいい??
ほたちゃんが普段からまったく鎧をつけてないとは、私、思わない。
生まれつきとも、もちろん思わない。
ほたちゃんも、鎧を付けた戦士だったんじゃないかって思う。
私たちもそうであるように。
おもくて、硬くて、冷たくて。
でも、こわくて脱げない。
じゃあ、どうしたらいい?
ほたちゃんは、ぶつかりまくって、鎧を壊しはじめたんだ。
真剣で、がむしゃらで、痛くて。
激流に逆らって登り切ろうとしているみたいだった。
そんなライブを観たひとたちもいるでしょう。
「ひかるゆめ」を聞いたとき、嬉しかったし、驚きました。
流れに逆らうのではなく、流れるままに浮かんでいるようだったから。
そして、ほたちゃんの うたが流れそのものになって、私が浮かんでいるような感じになって、とっても気持ちよかったから。
取れたはずの鎧が、いつの間にか、また付いていたり。
傷跡から、せっかく出てきた新芽を枯らしてしまったり。
何度も何度も失敗して、どうやったら芽を枯らさないでおけるのか。
毎日、よく見て、声を聞いて、手間暇かけてきたんだと感じます。
試行錯誤して、見つけたんだと思う。
いま、ほたちゃんの鎧は、剥がれていって、傷ついたところからは新しい つやつやの新芽が出て、少しづつ少しづつ花や実をつけていってる。
でも、本人、わかってると思う。
自分次第で、あっという間にまた、鎧を付けてしまうことになり得るって。
まだ、終わらないんだってことも。
その、怖さはなくなることがない。
だけど、大丈夫。
失敗しては、ちょっとづつ学んできたから。
私たち、きっとタダでは起きないようにできているんじゃないかな。
まだまだ続くみちのなか、
そのひとつの宝物が「ひかるゆめ」(ほんとうに宝物のようなCD!!)
「ひかるゆめ」は、今まで生きてきた、これからも続く 小さな戦士の記録。
そして、わたしたちのまだ見ぬ未来や希望の呼び名。
こんなに、しずかでやさしい(つよい)うたをありがとう。
うたにあふれる愛を(そう!これは愛よね!)そっと。
だけど、惜しみなく寄り添うように、込めてくれてありがとう。
●遊佐春菜
穂高さんのライブを見ているとき、このCDを聴いているとき、自分の感覚は深く研ぎ澄まされ、自分がわたしを離れたただの存在、になっている感じがする。だから、穂高さんの音楽に触れているとき、自分は人間の、とてもいい顔をしていると思う。
アルバム最後の曲「いつか」を聴いて、自分がいつか消えゆく日を思い、最後の最後の、まるでそこでなっているような、今にも息遣いのきこえてくるような三人の演奏に、自分もまた同じ時代に息を吸って吐いて生きていることをとても嬉しく思った。
ワンピースの裾靡かせ、草原に裸足でひとり、凛と力強く立つ、救世主のような穂高さん。自分にとってはそういうイメージと共に、ライブをし、仕事をし、時に失敗や失望したり悩んだり、それでも前向きでいようとする、健気で優しくて、ほおっておけないお姉さん、という印象もあって、そのことがまた、とても嬉しい。
ひかるゆめ。
わたしのあなたの、胸の中の。
ずっと大事に、その輝きを決して絶やさぬと、誓いたい。
●三村京子
こころは血を流して花園のなかにいる。
欠けること、失うこと、遅れることの豊穣さ。
ざわざわと大きくて、きらきらと陶酔させるそれらが、たったひとつの身体に、すべて詰まっていることの賢明さに憧れ、まっすぐな声に打たれる。
迷い、誰にも打ちあけられない心をもっていたようなとき、それでも苦しみぬくべきだとしか思えない確信のなかにいて、眼に映るものがどうしても澄んでくるようなとき、きづいたら、穂高さんという歌手が横にいて、ひかりのようにうたっていた。
そのとき、穂高さんがどんなひとなのか、初めてわかった。数年前から知り合いなのに。そしてアルバムを聴き、数度きりだけど喋って、何にもとらわれることなく、彼女の歌にも、彼女にも向きあうほど、素敵で豊かなものが、私たちの間からみえてくるのだと知った。そのたびに、どんな大きなものを、彼女からもらっているんだろう。穂高さんはいつも言う「私は、本気のひとが好きなのです」。
世界を優しく視るひとの口からこぼれおちる無数の意図が歴史をしずかにたしかに織っている。
それはときに憂鬱な過程をもはらむのかもしれないけれど、運良くも、穂高さんは青色の似合う背の高い女の形をしている
●澁谷浩次(yumbo)
穂高さんの中には駐車場があって、湖があって、密林があって、果樹園があって、繁華街があって、塩田があって、集団墓地があって、映画館があって、消防署があって、宇宙があった。わたしたちはその空間の中を漂う糸くずか木の葉に過ぎず、どう転んでもその世界を踏みにじったり、支配したりすることは出来ない。
●菊田尚(sorrys!)
穂高亜希子さんのひかるゆめに寄せて。穂高さんが企画してくれた「みんなのアコースティックワンマンライブ」に僕が出演させてもらった時にこのアルバムに収録されている「いつか」を勝手に歌わせてもらいました。すごい曲。穂高さんのようには全然歌えなかったけど。このアルバムを聴いて思うのは、穂高さんって超越してるから多分なんでもいいと思っているんじゃないかなって事です。「なんでもいいからとにかくやってみてよ。」って感じなんですよね。でもやってみると全然なんでもよくないんですが、、つまり理屈抜きにやってみてよ。段取り抜きに、心構え抜きに、体さえ抜きに直接やってみてよ。ってのが意訳であって。とにかくやってみてよ。とにかくやってみたヤツが好きなんだからさって感じです。色んな事はどうでもいいからとにかくやってみたんだよ。って。わがままなままやってくれてる。でも人はそれを待ってると思う。それだけを待ってると思う。それをやってくれてる。それがこんな形になってる。光ってる。それに呆然としてしまいます。
●門脇英之(fusha records)
穂高さんのライブは実は意外と見ていた。
この頃は生活に追われて新宿や高円寺にもほとんど出向かなくなったけど、アルバムを聴いていると毎日働いては高円寺へ行き友達と音楽の話をして雑魚寝して、また働いてというのを繰り返していた日々を思いだす。その日々の中で穂高さんもいたし、ラフでカッコいい演奏をしていたキャッスルズや、弦人くんアダムさん三富くんの愛のために死すもいた。毎日が夢のように楽しかった。
穂高さんの音楽は自分はどちらかというと苦手だった。本気で歌っているのか信じられなかった。それは穂高さんも俺に対して想っていたんじゃないかな。しかし、それがいつの間にか変わっていた。先月会ったときに話していて思ったのは、穂高さんは知ってる女性の中でもしかしたら一番話しやすいということ。小学校のときのクラスメイトみたいな感じで自然と話せる。向こうは違うかもしれないけど。
そんな風に感じてから彼女の音楽がすっと自然に入ってくる。本当はもう少し『上海バンスキング』での松坂慶子のはっちゃけもあってもいいんじゃないかと思うけど、それは伝説のロックバンド・クリスタルみかんずで期待しよう。
今CDを再生できるのがテレビしかなくて、それで聴いているけど次から次へと知ってるあの曲が流れてきてちょっとどきどきする。毎日たくさん曲が作られ、毎月たくさんのCDが発売されているけどピンとくるものってありますか?もしないのなら、この『ひかるゆめ』を聴いて耳直しをしてみるのもいいかもしれない。
●小森清貴(壊れかけのテープレコーダーズ)
穂高亜希子「ひかるゆめ」へ寄せて
出来上がった穂高さんのアルバムを聴きながら、ずっと「ことば」について考えていました。以前自分のブログにも一度書いたことがあるんだけど、穂高さんの「ことば」って、通例僕達が用いる指示や表象の形式を越えてしまっていると思う。例えばAという言葉が表すのはAという時物であってBやCではないから、僕らはそういった差異化の作用によって言葉を用いたコミュニケーションということを成立させているんだけど、穂高さんが歌う例えば「ぼく」「そら」ということばの一つ一つはその語に含み尽くせる全てのこと、もの、現象、を内包してしまう。このアルバムには入ってなかったけど、昔のデモには入ってた曲のタイトルで、穂高さんがよく用いてたことばに「宇宙」というのがあったけれど、正に穂高さんのことばは意味への直線的なベクトルを越えたて宇宙大の無方向に拡散するスケールと神秘がある。
そして、そんな宇宙を前にした時に、僕は最早日常言語で応対が出来なくなってしまう。ことばが一度無化されてしまうとでもいうのかな。だから穂高さんのうたの内包する世界と言うのは、全てを肯定するような無限大の優しさを持ち合わせているのと同時に、全てを洗いざらいにしてしまうような残忍さも同時に持ち合わせているような気さえした。記号的な意味のラベルが剥がされてしまうから。
でも、そういうことばで歌われた歌こそが本当の「うた」なのかもしれないね。
だから、本当は僕もうたうたいだから、うたで返したいと思っていたんだけど、それは成し遂げられず妙に説明的な文章になってしまいました。うん、だけど言葉を綴ることによって、一度解体された世界はまた構築されることが可能だから、それはそれで必要な作業なのかもしれないね。
いつか、また気が向いた時に、うたが、向こうからやって来ると思うから、その時はうたで返事が出来たらと思っています。その時は、穂高さん、聴いて下さいね。いつか。
アルバム発売おめでとう。
いつもいつも、ありがとう。これからも、よろしくね。
●望月治孝(sax奏者)
穂高亜希子 『ひかるゆめ』 に
今年に入ってから、ちょっと私生活でいろいろあって
シンドくなるたびに穂高さんに電話して話を聞いてもらった。
たくさん助けられたように思う、穂高さんはいつも優しかった。
そんななか、 『ひかるゆめ』が届いた。
穂高さんのことを前から知ってる人達にとってはベスト盤的な内容で
どの曲も線みたいに細くて綺麗だけれど、
僕が最も好きなのは『昨日の歌』だった。
「君の嘘も ほんとのことも 伝えないで 空に消えてく」
「嘘」って凄いなと思った、、、「嘘」って、「嘘」って、、、、、、
なんだよそれ、、、、、「嘘」って、、、、、、
この曲の歌詞のように
「嘘」も「ほんと」のことも伝えないで空に消えてってくれたなら
どんなに良かっただろう。
「嘘」って、、、、、、、、、そんなの無しだよ、、、やめてよ、、、
「ほんと」と一緒に、、、、、、チェッ!、、、、空に消えろ。

