本日の伊丹市での池田亮二、週はじめからの腰痛と原因不明の背中痛がひどく、あきらめてしまった。
昼に地下鉄の階段をよちよち登ってるうちに、これは無理だと思った。行き帰りの電車がもし立ちになったらとてももたないくらいの痛み。
先日の「変化と予測」の項について、このブログを読んでいる方から丁寧なコメント・メールをいただきました。
なるほどな〜、と言えるような内容で大変参考になりました。改めてお礼を申し上げます。
個人的なメールなので内容は明らかにしませんが、結論としてはリスナーはそれほど貪欲ではない、ということ。
そうだよなー、提供する立場として、音楽や音楽を聴く人(作る側も含め)たちに過度に期待しすぎているのかもしれない。もっと冷静に状況を分析することも必要だな。
しかし変化はやはり急速に訪れているようで、KORGがニンテンドーDS専用の音楽制作ソフトを4800円でだしたり、手塚治虫の漫画を自由に素材として使って自分のアニメや漫画の作品を発表できるopen postが開設されたり、とかすごいことになってる。
この変化が多分いろんなものの根本的な意味まで変えてしまうのはもう間違いないだろう。
もう変わりつつあるものもあることだし。


行ってきましたよ、伊丹。
マトリックスと捕捉、指先とアナトミア、などという対比を思いつきつつ、家路につきました。
ところで、bccksなんですが、良くも悪くも、紙媒体とは違うなあと思ってます。なんといってもデザイン形式にかなり制約がある。だからこそすぐ作れちゃうわけです。
出力を見ながら文章を書くと、息の長さをデザインに合わせて整えるということが起こる。たとえば「黒板」や「絵はがき風呂」だと、息の長さをわりと短めに取ります。そのあたりがおもしろいなと思います。
こういうのをタダで配っちゃうのってどうなの? という意見もあるかと思いますが、ぼく自身は、金を取る本をこれで否定してるつもりはなくて、むしろ、これに興味を持ってもらった人には、こんどは紙の本も見てもらえるかも、と思ってるわけです。
考えてみれば、十数年前からHyperCardのスタックを使ってタダのソフトを配ったりネットで文章をばらまいてたわけだし、どうもこういうことが昔から性に合ってるのかも。
う〜、行きたかった。
bccs見て改めて思ったけど、写真のもつ意味も変わってきてますね。モニターで見る写真は(モニターの)後ろからの光に支えられているけど、通常の写真は当たる光の反射に支えられているという違いが、写真を見る意味にも違いを与えてるように思えます。
映像やイメージの所有に関するようなことだけど。
モニタで見る写真の質感は、ライトボックス上でスライドフィルムを見る感じに近い、と昔、写真家の人がどこかに書いてた記憶があります。
発光体と印画紙の違い、ちょっとライブと録音物の違いに通じるところがあるかも? 距離をどう統制するか、という点で。
スライドか〜、ああそうだ、bccs見ててどうも既視感があったのはスライド・プロジェクターでスライドを見たときと似ているからだ。
眼精疲労の「精」ってなんなんですかねえ!?
その強烈な光のせいか、
ディスプレイに向かう時間が長いと
そのあと眠りが深くなれないような気がします。
ひとむかし前、テレビで放映される映像の
コンピューターのモニタ画面が
必ずギザってるのもどうしてなのか不思議でした。
「精「って眼の精力?年齢と共に目が疲れやすくなってくると「眼精」という言葉に実感が持てます。
ディスプレイ越しに見ると光が向かってくるから受け身になりますよね。本とかだったらこちらから向かう気になるんだけど、ディスプレイで見るといつのまにか「すんません」か「どうでもいいや」という気持ちになる。