新しい記事を書くまで随分間が空いたし、しかも話題もかなり前のこと。しかしやっぱりそのままにはできない。
このカルテット、東京で見たときにはおもしろいとは思ったけど実はもう一つよく分からない部分があった。その後のONJOがあまりに素晴らしかった、ということもあるのだけど。
京都での演奏で大友さんがこれを「ビート・バンド」と呼んだ訳が分かったような気がした。
リズムらしいリズムが無くても、それどころか音がない場面でもビートを感じたからだ。それも極々微細なビート。(これを通常のビートと同じと言っていいかどうか分からないが)
繊細で微弱な音の集合だったのにおそろしくパーカッシヴに聴こえた。
ブランドルマイヤーの精緻にコントロールされたドラムやドナーのこれもまた正確無比なプレイにも目がいくが、そういう個人プレイの集合体というよりこの「カルテット」は当に「バンド」だった。
4人の出す音が立体的に交差、集合、融合を同時にまたは交互に現れる様は個人プレイのセッションではなく明らかにひとつのベクトルを示していたと思う。
日にちを追う毎にもう一度みたい、という気になる。あの「カルテット」の示す方向の、その先がどこなのかとても気になる。

