今日はLOVEJOYマンダラ2ライヴの当日ですね。今からでも間に合う方は是非。
日曜、腰の痛みに唸っているうちにHEMLENのライヴを忘れてしまった。
月火と城崎温泉へ。磔磔の社員旅行に同行。腰にちょうどいいや、と思っていたけど行き帰りの電車が結構つらい。
京都駅へ向かう途中のタクシーでラジオが聞こえる。
河内屋菊水丸。町田康と対談したとの話。
町田君の「告白」が文庫化された出版記念イヴェントだったらしい。
家の荷物の縮小化のために文庫にされそうな本はそうなるまで待つことにしている。なので「告白」も文庫化されるのを待っていた。
それとは関係なく菊水丸の話し方にとらわれる。ちょっと不思議な間を持った話し方。「そこでちょっと短く してくれと言われた んですよね。」のように文節を無視したような間を入れるのだけどこれが妙に心地よくしかも話もよく分かる。
しかしこの落ち着いたテンポではひたすら煩くやかましくすることが賑やかしと思っているようなTV界では相手にされないのだろうな、と思うし実際関西でも菊水丸をTVで見ることは少ないように思う。
TVで中途半端なタレントがよくやる、前で大きく両手を打ち合わせながら大笑いする反応の仕方は、ちょっと昔のかなり年配のご婦人しかやらなかったはずだ。
そういう年配の方は力もないし声も大きくないからそう品のないことには見えないけど、若い子がやるとやたら煩い。
行きの電車の中で知らない若い女の子のグループが、しきりと両手を大きく打ち合わせて大声で笑っていたのを聞いていて(楽しそうでよかったのだけどね、品はなかったな、大きなお世話だけど。)菊水丸のしゃべり方の巧妙さについて考えたりした。女の子達は笑ってはいるけど話の内容に笑っているのではなくてその場の空気に笑っているようだったし、実際人の話をちゃんと聞いているかというとそうでもないようだった。
いや、話す方だって伝わってるかどうかよりも、その時のその場の空気を作るための方向に力を入れていた。
話す歌う伝えるプロである菊水丸のちょっと不思議な間を持った話し方が、どうしてああも聞き易く伝わりやすいのか。
で、町田君の「告白」。まだ途中だけど、初頁の数行目の言葉「あかんではないか」が要所要所で登場する。
関西弁がネイティヴでない方にはわかりにくいだろうが、「あかんではないか」は変な語感を持った言い方だ。
「あかん」に続くのは「やん」もしくは「がな」で、「あかんやん、あかんがな」となるのが普通だ。
「ではないか」という一種堅苦しい印象のある標準語がつづくことは、まず無い。
「あかんではないか」という語の持つちょっとぎくしゃくしたリズムが町田君っぽいなと思ってしまう。
町田君の本を読んでいつも思うことはやっぱりミュージシャンだよなーということだ。
ちょっとぎくしゃくした言葉のリズムがいつの間にか心地よくなる。「くっすん大黒」を読んだとき「これはビーフハートだよな」と思ったけどその印象は全く変わらない。

