広重君が日記で間章のことを書いていて、それを読んで思い出したことがある。
いつだったかウルトラ・ビデのコウイチロウとBIDEと間章に会うため、吉祥寺のマイナーで自分のバンド「アナル・キッス」(ださい名前だよね、なんでこんな名前にしたのかと当時でも思った。)の練習中の間さんを訪ねて行ったことがある。
会って何を話すつもりだったか覚えていないし、多分3人とも何を話すかも決めてはいなかったのだろう。とにかく会えば何か起こるだろうという、本当に若気の至り、みたいな浅はかな気持ちだったとも思う。
当時はとにかくロック・マガジンか間章しかなかったのだ。普通のロックやブルース以外の変な音楽はロック・マガジンか間章しか紹介していなかったし、その両方で紹介されているものを聴くことが出来れば、間違いなく新しい世界が開ける、と信じていた。それは多分当時(70年代後半から80年代前半)新しい音楽を求めている人間達は多かれ少なかれ皆そうだったと思う。
間章の文章は今読んでもどうかと思うような文章だし、ロック・マガジンは固有名詞をはじめとして間違った情報が多いし、編集方針にも疑問はあった。
しかし当時は簡単だったのだ。とりあえずその2人(ロック・マガジンは阿木譲氏)の勧めるものさえ聴いておけばよかったのだから。
今のことを考えると望む情報を得るための手段が煩雑になりすぎて、だから簡単に情報を得るために、ある囲い込みの中に皆安住してしまうのかな、とも思う。ジャンルでもmixiでもなんでもいいけど、とりあえずその囲い込みの中で簡単に探せる情報のみを信じる方がとりあえず楽なのだ。
どっちが良い、とは一概には言えないけど、昔は結果的にその2人がノン・ジャンル(一人はその情報量の多さで、一人は無知ゆえの好奇心で)だったおかげで、こちらも多くのタイプの音楽に接することが出来たのは幸運だったと思う。
間さんとは結局会えなかった。約束していたのに練習中ということでウチカギをかけられていてドアを開けてくれなかったのだ。随分待ったけどなかなか終わらないのであきらめて引き上げた。
デレク・ベイリーの昔のインタビューで、インプロのミュージシャンのコンサートをソロ、地元を含む日本のミュージシャントのセッションを数十分のセットでいくつかやる、ということは間章のアイデアであった、とあってちょっとびっくりした。
そんなことはなんにも知らなかったけど、自分で主催するときもこういったやり方でやっていたからだ。知らない間に間さんの影響を受けていたことになる。
聴いている音楽の影響も含め、そう言う意味では自分は「間章の生み出した子供」のようなものかもしれないとも思っている。
同じように多分「間章の子供」の一人である青山さんが監督した7時間半の映画「AA」、やはり見ないといけないだろう。
関西でやるんだろうか。年末にやられると見に行けないな。

