記録するということ

 ライヴを録音したり写真やビデオを撮ったりということについては、随分前からいろいろ思っていた。


 これから書くことはレーベルをやっている人間が言うべきことではないのかもしれないが。
 ライヴに限定した話でもある。

 うちの実家にはアルバムが一つもない。家族での集合写真というのも一枚もない。卒業アルバムなどは取りに行かなかったり、あったとしても何処にあるかは知らないので無いのと同じだ。

 だからというわけではないが写真で「あること」を見返す、ということは全く信用していない。写真が映す出しているものがその時そのままの状態を映し出しているかといえば、全く違うものであるとしか思えないからだ。

 ある「瞬間」の連続が「時間」ではないと思うし、第一カメラのシャッター・スピードでしか映し出されない瞬間など本当の瞬間ではないと思う。ましてやあくまで撮影者の視点によるものだし。

 その場の空気や感動や衝撃はとても映像で残せるものではない。記憶に残る映像は時間がたてば変化していくかもしれない。でも記憶に残った衝撃や感動はそのまま残る。そういう衝撃や感動は次に進む推進力になり得る。

 でも写真やビデオに残る映像は何時までも変わらないのかもしれないけれど、「ああ、あの時はこうだったな」と記憶をなぞるだけだ。

 そこには感動や衝撃もなくただの想い出だけ。感動したことを思い返すだけ。

 自分が本当に感動したり衝撃を受けたりしたことを想い出に終わらせたくない、そういう気持ちがあるから、お客さんがライヴの写真を携帯やカメラで撮っていたりするのをみると実はすごくイヤな気がする。レベルを気にしながら録音してるお客さんも同じ。

 そんな暇があるなら一瞬も逃さず一生懸命に聴いてくれ、と思う。

 ライヴの資料や反省材料として自分で録音、撮影をすることはあるけど、しかし実は後で見返したり聴きなおしたりすることは滅多にない。
 だから最近では撮影も録音も特殊な場合を除いて殆どやることはなくなった。

 念のために言いますが、カメラマンや映像作家がライヴを映像に残すのはまた話が別です。
 しかしそれもあくまでそのカメラマンや映像の人の作品であって、ライヴそのものとは全く違うものなのだ、ということは言うまでもないと思う。

“記録するということ” への4件の返信

  1. ポータブルMDが登場して以来、まめにライブの録音をしている身としては、大いに考えさせられる話です。確かに録音レベルだとか電池の残量だとか気にして、演奏に集中していない瞬間がありますから。では、なぜ録音するのか。
    (1)「ライブハウスでは録音が黙認されているから」
    これは単なる前提です。禁止ならば録りません。
    (2)「ライブに参加した記念写真のようなものとして」
    石橋さんが評価しておられない観点ですね。たしかに後から聞かない録音も多いので、いささか反省するところです。
    (3)「本当に価値のある記録物を残したくて」
    数は少ないですが後から何度も聞いて楽しめる個人的録音もあります。ミュージシャンからいただいた貴重な贈り物と考えて大切にしています。
    それから別の点で、たとえばラブジョイに関して言えば、まだ数多くある未発表曲(録音物として発表されてないという意味ですが、おかしな言い方ですね)を記録しておきたいというのがあります。名曲がいっぱいありますから。新曲もライブで聞いてその場でCDが買えるわけではないですし。
    主催者やミュージシャンのほうでライブを録音して,注文した客にあとでCD−Rにして届けるなんてサービスがあったらいいなあと思います。だったら自分で録音なんてしません。聞くことに集中します。ただ、演奏してる側にとっては失敗や不調がそのまま記録されることに抵抗があるかなとは思いますが。
    長文、失礼いたしました。

  2. S.ITOさん、
    有り難うございます。

    上記の記事、なんか批判がましくなっていて反省してます。

    基本的に人がその音楽をどう楽しもうがとやかく言うことではないですよね。

    そう言う意味で(3)「本当に価値のある記録物を残したくて」というお話は納得しました。
    ライヴCD-Rを届けるサービスというのも良いアイデアだと思います。
    ちょっと考えてみます。

    ただ、やっぱり演っているほうは後で聞き返すと納得のいかないことが多くて公的に発表する事をためらうことが多いんですよね。
    中途半端なものよりもちゃんと作ったものを聴いていただきたい、という気持ちもありますね。

  3. こんにちは。わたしもよく録音しているので、反論や弁明ではなく、何故録音するのか考えて、お伝えしようと思っていたのですが、つまらない反論を呼び込まないようにしなければならず、思案しているうちに日が経ってしまいました。S.ITOさんに便乗するようで申し訳ないですが、少し書きます。

    残しておけばよかった、と感じた経験が多いのが、録音する理由になっています。残しておけばよかったと思うものほど、残していなくても経験を記憶しているものかもしれませんが、それでも、良かったという経験は自分の中にあっても、曲は悲しいかな忘れてしまうことが多いですし、再現する能力がない身では残念に思うばかりになってしまいます。

    録音物があれば、というのはほんとうにそうで、いつもリリースされたこと自体に感謝しています。でも、それまでは録音したものを繰り返し聴くことになります。バブーシュカバーバヤーガがそうでした。

    ただ、石橋さんが書かれていることはまっとうなことで、だから最低限これはやらないでおこうと決めていることはあります。自分が集中するために。ほかのひとの集中を妨げないように。ミュージシャンの気持ちや意志を尊重するように。

    先日のWarehouse+柳原は録音していなかったのですが、ライヴで演奏されたアルバム未収録曲を収録したライヴCD-Rが販売されていて、とても単純に嬉しかったです。
    でも・・・「カズー組曲#5」は観た日の演奏のほうがよかったんよなぁ・・・録っとけばよかった(懲りてません)。

  4. きじまさん、こんにちは。いつも有り難うございます。

    きじまさんの意見もよくわかります。

    >良かったという経験は自分の中にあっても、曲は悲しいかな忘れてしまうことが多い<

    というのも同じなんですが、個人的には覚えて無くても良いかな、とも思ってます。なんかとても良かった曲があったな、という記憶があれば。何かの時にまたそれに出合うととても嬉しいし。
     でもこれはあくまで個人的な意見(というか趣味)のことです。

     今更言わなくてもおわかりだと思いますが、最初の記事で言いたかったのは本末転倒をしている人があまりに多い、ということなんです。
     
     音楽を聴きに来たのか、写真を取りに来たのか、録音しに来たのか、よくわからない人は正直いやになります。主催者としてもライヴを見に来ているお客さんの立場としても。

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