イアン・マシューズの20年前の

名盤「If you saw Thro`My Eyes」を曲順そのままで再現したという今年のライヴ盤を買った。


 良いのだけどオリジナルにあったようなヒリヒリするような叙情感はない。やっぱり何処かに余裕、というか落ち着いた空気がみえる。

 キャリアの長い人が、崖っぷちにいるような真摯さをだんだんなくして、リラックスといえば聞こえは良いが、変に余裕のある”楽しめればいいわ”みたいな、なにかをあきらめたような空気をだしたアルバムをだすことは良くある。

 これはジャンルに関係なくね。

 生活の安定や、音楽と接する時間のあり方の変化なんかが影響するのだろうけど、、一番の原因は、本人の向かっている、または見てる範囲のこと、だとおもう。

 演っている人が一体何処を見ているのか、ずっと先まで見ているのか、または目の前の人間だけを見ているのか、それで随分違うような気がする。

 ずっと先、というのは上昇志向のことではない。例えば、唄う人が目の前の観客に向かって唄っているのは当然だけど、その目の前のお客さんのはるか後方にいるだろう未知の人達も意識しているかどうか、だ。

 考えればこれは別にキャリアの長い短いは関係ないな。
 ライヴで時折感じる突き抜けるような感動、というのは字面通り、その場で見ている自分を突き抜けて、はるか後方にいる未知の人達にも通じている、という実感なのだろうか。

 だから、音楽を引退したというシャーリー・コリンズが、地元のパブで時々唄っているようだという話を聞いても、聴いてみたいとか、または日本に呼びたいとか全く思わない。
 地元の人達のためにのみ唄うことを決めたならば、その意思を尊重してあげた方が良いに決まっている。

 これは最近多い、昔に活躍した有名人を日本に呼んでみました、的な安易な招聘企画への疑問でもある。

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