この間のブリッジで、山本さんとちょっと「アルゼンチン音響派」の話を。
話題は主にカブサッキの特異なギター・スタイル(決してソロは弾かない、目立たない、それでいて全体をコントロールするようなリフを作る、といったような)についてだったけど、結論は「”アルゼンチン音響”って”音響”とは違うよな。」。「でもやっぱり”音響”だとおもう。」
わけわからんと思いますが自分としては納得のいく答え。しかも知らなかったけど「アルゼンチン音響派」という言い方は随分前からあって、”音響”という言葉が出だした頃から、多分、そのころ南アメリカの音楽を紹介していた今は亡き切石さんが言い出したことらしい。
で、それと関係も無くはない疑問をひとつ。
前提として、「アルゼンチン音響派」は「アルゼンチン音響派」という事であって良いと思うし、それが「音響」であるかどうかはどうでも良いことだと思っている。
その上での音楽の括りについての疑問。
「アルゼンチン音響派」を積極的に紹介していたライターのT氏のある記事についてだ。
それは随分前に書かれたレビューなのだけど(多分ONJOだったと思う)、「いわゆる”オフサイト系”」と言う言葉を使っていたことだ。
T氏がオフサイトに行ったことがあるかどうかは知らないし、「いわゆる”オフサイト系”」の音楽を聴いていたかどうかも知らないが、ものすごく唐突にその言葉が出てきてとまどった覚えがある。
なぜ唐突に思えたかというと、「オフサイト系」という言葉を初めて見たからだ。
オフサイトに出演していた誰も、またいわゆる「音響」「弱音」の音楽に関わっている人達はだれも「系」という括りでは音楽は語らない。
当然の事ながらそれぞれのやっていること、やろうとしていることは全然別なので「系」という括りで語ることの怖さを知っているからだ。
「なになに系」と簡単に音楽を一括りにする人が音楽を語る仕事にいることの疑問。
それぞれの音楽を語ることなく、ある一つの傾向としてしか捉えようとしかしない人が音楽ライターとして活動しているのはT氏に限らない。
と言うことをさらに前提に。
どんどん勝手にジャンル分けでも括りでもやってもらって、ジャンル分け、括りの意味自体を無くしてもらいたいと思っている。
ちょっと前だけど、あるカフェで後ろの席の10代半ばだと思われる女の子2人が「あたし、バンドやろうと思ってるの。」「へ〜、どんなん?」「うん、音響。」
コーヒー吹き出しました。
mixiで「アルゼンチン音響派」を聴いて「そうか、これが”音響”というのか、おれもやってみて〜。」
良いねー。「音響」でも「オフサイト系」でも何でも良い。勝手に名付けたって、どんどんみんな解釈してどんどん新しく音楽をやる人が出てくるだろう。それはつまらないモノかもしれないけど、しかし全く新しい音楽が生まれるきっかけになるかもしれない。
人にモノを伝える能力のないライターが自らジャンル分けを無意味にしていき、誤解でも何でも新しい音楽が生まれるきっかけを作るかもしれないのだ。


ヤコニヴスキー・エーヴァ 『もしもぼくがおとなだったら…』 ― 付、匿名性について
おともだちの、ブダペスト在住翻訳家レナさんから本が届いた。ヤコニヴスキー・エー