tapeとminamoの共作、バーズ・オブ・ア・フェアーを聴く。

これほどうまくいっている共作はないのではないか、というくらいの傑作だと思う。
tapeでもあるしminamoでもある。でも今までのtapeでもないし今までのminamoでもない。
安永君(minamo)が解説で書いているとおり「流れを維持する力と破綻させる力」が同時にうまく働いている。
来週のtapeの京都でのライヴ、満員かなー。テニスコーツとゑでぃまあこんも一緒だし。あまり人が多いようならいくのがつらい.
tapeの来日は3回目?
とにかくその共作、音の手触りみたいなものがザラッとして心地よい。解説に安永君本人が書いているとおりアナログ楽器を中心にラップトップはエフェクターとして最小限にしか使っていないらしく、全ての音がLINEの音ではなく空気を通した感じなのだ。
細かい録音方法は分からないけど全ての音が、スピーカーから放たれて間の空気を振るわせている様がそのまま録音されているような感じ。
LINEだけで録音すると出した音が空気を振るわせることなく録音されてしまうので、どうしても「細い」感じがつきまとう。
この「細い」というのは「貧しい」というのではなくある意味スリムで夾雑物が一切無い美しさもあるのだけど、音を出した本人と音との関係以外無い「細さ」というようなことだと思ってもらっていい。
「ユリイカ」の大友さん特集でのジム(オルーク)と大友さんの対談中、mp3の音質批判があったけど、やはりそういう「細さ」と関係あるんじゃないのかな?と思う。
今対談に対するネット上の多くの反応は「そのうちmp3も音は良くなる」という反応が殆どだったけど、実際の音質どうのこうの以前の問題であると思う。
聴者(自分)と音(他者)の間になにもなく、他者を全て自分の内に取り込んでしまうしかできない「細さ」。
スピーカーから出る音を録音することにより、間に夾雑物(他者)を沢山入れることにより演奏者と音の間に豊かな関係ができるように、聴者と音の間に豊かな関係を作ること、それがmp3に代表されるダウンロードできる音にはできないような気がする。
手に入れた音の全てを自分の物にしようとするより、出会った音と真剣に向き合うことができるような状況が望ましいし、作る立場からしてもいつもそうしたいと思っている。
ジムと大友さんの対談でもそれを言っているんだと思うけど。それが単なる音質批判ととられているのが寂しい。

