(jojo)広重君の日記「Half Way There」の項で“石橋くん、どうなんだろうな。”と問いかけられたことに対する公開回答でもあるし、「ロック画報」の項でのピーチさんのコメントに対する回答の補足説明でもあるようなこと。
愚痴っぽくなるし、何の回答にもなっていないかもしれませんが正直なところなんで。
そもそも、何故こういった事(レーベルをやったりライヴを主催したりとか)をやっているかといえば、はっきり言って良くはわからない。レーベルなどははずみでやり始めたことだし。
おそらく何の得にもなっていないし、得どころか年々体力気力の消耗は激しい。得どころか損ばかりだ。少なくとも賢い人間のやることではない。
音楽でもうけるつもりならば、今1万枚以上ある自分の手持ちのレコードやCDをネット・オークションで売った方が楽だ。多分1年以上は楽に暮らせるだろう。(ネット・オークションなど死んでもやらないが。)
なぜやるかということは未だもってわからないのだけど、なるべく近い気持ちというのを無理矢理探しだせば、「自分が素晴らしいと思った音楽を人にも聴いて欲しい」ということになるか。
かなり近いことだけど、友人に自分の気に入ったCDを貸してあげるような感じ。
しかしそういうことはお節介だし、押しつけにもなりかねない。それに、じゃそれなら無料でCDを配布すべきだ、ということにもなる。
無料じゃだめなんですよね。何故ダメかというと、それも良くはわからない。膨大な経費を回収したい(回収できないことの方が多いけど)ということ以上に、ただで簡単に手に入るものには感動はないような気がする。あくまで、気がする、だけだけど。
他人と音楽との出会いをセッティングしている、というと思い上がりだし、そもそもそういうのともちょっと違う気がする。
とりとめのない話で申し訳ない。
よくわからないからこそ、自分でおかしいと思うことをはっきりさせたい。
少なくとも今一番自分の中ではっきりしている「おかしいと思うこと」は音楽を「道具」として扱うことだ。
癒しの道具、コレクターの道具、礼儀を知らない連中の金儲けの道具、音楽をどう聴こうが使おうが各個人の自由かもしれないが、自由だからそれで良いとも言えない。
じゃ何故それがいやなのか、それを考えることで自分が何故やっているかの回答もでるかもしれない。
随分以前になにかで東瀬戸さんが「自分の好きなことだけを長年やる苦しみ」ということを書いていた。しかもその苦しみを知っている人間だけが長年できるというようなことも。
これが「仕事」ならばどれだけ楽だろう、とよく思う。
「好きなこと」を長年やっていればどうしてもその「好きなこと」に疑問が出る。本当に自分は好きなのか、どこが好きなのか、好きなことは本当はもう終わっているのではないか、そういう問いをしなくても「仕事」だからとあきらめて作業できるから。
「好きなこと」を生活の中心においた(しかもそれが「仕事」としては成立していない)人間にとってはその疑問は恐怖なのだ。
「好きなこと」だけを何十年もやっている人間は常にその恐怖心と戦っていると思ってもらっていい。
「好きなこと」を自分の中だけで終わらそうとしているのならばそういう恐怖心は無い。他者との関係がいつも頭にあるからこそ出てくる。わかるだろうか。
昔に読んだつげ義春の漫画にあった「夜中に自分の背中の影だけ大きくなっていく恐怖」を常々リアルに感じる。
しかし「仕事」として成立させることはしないでいるのは、儲けるためには「好きなこと」の一番近くで「おかしいと思うこと」もやらないといけなくなるからだ。
もちろんCDをなるべくたくさんの人に聴いてもらうために、今でも少々の「おかしいと思うこと」や「いやなこと」もやっている。
でも仕事として成立するためには決定的に自分と違うことをやらないといけないだろう。
もしそういうことをやってしまえば、自分の居場所はどこにもなくなるような気がする。
それをただの甘えという人は多いだろうし、そうなのかもしれないが今のところそうとしか言えない。


回答?ありがとうございます。
納得はしませんが了解はしました。
真摯に書いていただき、感謝いたします。
何度も付け足しですみません。
買う買わないは自由と書いたのは、
ブートレグを、ではなくて、
ロック画報を、です。
個人的には、ブートレグは買いません。
画報の今回の瑕疵は、紹介の際に、
ブートはブートだと明記すべきだったことでしょう。