以前に個々で紹介したアニメーション「緑子」を見てきた。
音楽をつけた坂本弘道さんのミニライヴ付きの上映。
サントラの素晴らしさは以前にここで紹介したとおり。
アニメ(というより映画と言いたいが)をみるのを大変楽しみにしていた。
とにかく色鉛筆で書かれた映像のすごさに目を奪われた。
舞台となる街が殆ど木造建築、もしくは石組み、その質感が素晴らしく出ていて、当然なことだけどそれが映画として動くのだ。
色鉛筆とはいうがカラフルではない、殆どが黒、もしくは茶褐色一色を基調としていると言うと画面としては地味と思われるかもかもしれない。
でも実際見てみると地味どころか舞台となる街や変なアパート(飼料工場と銭湯が一緒になった、しかも何階建てか分からない不思議なアパート)や部屋の木材の質感がすごすぎて、目が離せない。
もう一つ、殆ど単色を基調にしているからなのだろうか、光と影のコントラストが時間と共に変化していく様も素晴らしく綺麗。
単色を基調とはいえ微妙な色加減で絵の表情が豊かだ。
まさしく「絵」が、それだけでもひとつの作品として完成している「絵」が動いているのだ。動く「絵」じゃなくて生きてる「絵」だと思った。
アニメにもうひとつなじめないのは微妙な表情が表現できてないからだと思っている。
簡略化された線と面だけでは微妙な感情は本当の意味では表すことは出来ていないんではないかな。
今まで長い時間かけて出来たアニメを見るときの「お約束」みたいなものがあって、それは微妙な変化を望めない線と面による表情よりもストーリーから観客が感情を読み取るというお約束を皆無意識にやっているのではないか、とそう思っている。
ますむらひろし/杉井ギサブローの「銀河鉄道の夜」のようにそれを逆手に取り(とったつもりはないだろうが)、元々表情の乏しい猫を登場させることによりとても微妙な感情を表現することに成功した例もあるけど、ジブリのアニメにももう一つなじめないのは、結局線と面では表現できることに限りがあるのではないか、そう思えてしまうからだ。
「緑子」はそういったアニメに感じてたもどかしさが全くなかった。
鉛筆の微妙な線は人の顔だけでなく家具も建物も空気も光もとても表情豊かで、だから目が離せなかったし、画面の隅から隅まで集中できた。
各地での上映はまだもう少し続きますね。まだ見てない方はだまされたと思って見に行ってください。好き嫌いはあるかもしれない、でも多分好き嫌いと全く関係なく間違いなく圧倒されると思います。

