実験音楽その1補足

 この話、遅々として進まなくて申し訳ないですが間が開いてもずっと続けます。

その1で書いた
>この場合、自分にとってわけのわからない音楽を切って捨てるゴミ箱として「実験音楽」や「アート」という言葉を使ってると思う。
 そこでは「実験音楽」や「アート」も全く関係のない話だ。
 生ループのタイトルでの「実験音楽」の使い方の乱暴さに、最初そういったことと似た感じを受けてとても不愉快になったのだ。<

という箇所、あまりに唐突でよく分からないな、と思い補足を。

一時期「音響(onkyo)」というタームが出現し、乱暴な「音響系」という括りで、一部の評論家&ライターがいろんな活動を簡単に語るようになったことがあった。

そんなに簡単にひとまとめにしても良いのか、と思ってるうちに明らかに演奏者自身が「音響系」の括りに自ら陥ったかのような演奏が氾濫したのを目の当たりにした時期がある。

最後から2〜3回目のF.B.I.での殆どの来日ミュージシャンの演奏や、京都でのFtarriフェスでの殆どの演奏が、どう言っていいだろう、まるでそれぞれが考える「音響系」の(ありもしない)ジャンルに自ら陥っていったかのような閉塞的な(いや「的」じゃないな、明らかに閉塞していた)もので、少なくとも人前で演奏することの意味は見いだせなかった。

ループラインでの討論会のタイトルは、おそらく通常の演奏方法や演奏目的(と言っていいのかな、演奏によって惹起する状況ー他人に及ぼす影響等々ーを想定する、と言っていいのか)とは違う演奏を単に便宜上「実験音楽」と称しているのではないか、と思ったのだ。

そこに個々の演奏方法や演奏意図の精査もなく、世間一般での「よく分からない音楽」=「実験音楽」と簡単にまとめられる実情に安易にのっかっているのではないか、しかも当の演奏家や精査すべき評論家もその安易な実情に簡単にのっかっているといういらだちがあったのだ。

ここまでは杉本拓さんのブログを精読しそれについて考える以前の時のことを書いてます。

少なくとも実際の討論会の内容を知らないうちに侮蔑的なことをつぶやいたのは失礼なことであるのは間違いないと思います。その点は関係者各位にお詫びします。
少なくともつぶやく前に「これはどうかと思う」と直接言えば良かったことでした。

次回は杉本さんの返答を念頭に置いて続きます。

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