昨日、amazonで本も買えることに気がついて、ずっと探していた本を注文した。探していたといっても本屋による度に売れ残って在庫があるんじゃないかといつも気にかけていた程度だ。
でも本屋に行くときは必ず探していた。
amazonでそれを注文したとたんに急に後悔した。
多分いつか本屋で出合うことを楽しみにしていたのだろう。その楽しみを自ら台無しにしてしまった気分だった。
購入の軽便さが何かを奪ってしまった、というようなネット社会の批判をするつもりはない。
確かに便利だし探しているモノも簡単に手に入れることが出来るし。
しかし、音楽でも文章でもそれを手に入れる、ということに付随するいろんな楽しさがなくなってきているのも確かかもしれない。
その付随したどうでも良いような楽しみがそのモノ〔文章や音楽)自身の楽しさを膨らませてくれていたのも事実だと思う。
モノに対するこだわりが、それがレアどうかだけのマニアの拘りだけに収束されてしまうのも違う。
以前、キッド・アイラック・ホールでの大友さんや杉本さんのギター・ライヴの際に、音が邪魔だから空調を切っていたら年かさのお客さんから「なぜ空調を切るんだ。空調の音なんか気にならないのに。」と苦情があったという話を思い出した。
大友さんは「気にならないんじゃなくて聴こえないことにしてるだけだ。」と言っていたけど、なぜかその話ととても近いような気がする。
実際にモノに出合う、という当然なことが買う&手に入れるという基本的なことから無いことにされているような気がしてきた。

