ひどかったなーと良かったなー。

 月曜にshin-biで 徐美姫スライドショー×豊田道倫ライブを見に行った。が、そのスライドショーがひどかった。久しぶりにどうしていいかわからないくらいの憤りを感じた。
 
 実名をあげて非難するのもどうかと思うけど、作者本人(作者という言い方をしてもいいかどうかも迷うくらい作品性は皆無)が平気で名前を出しているのだから良いだろう。


 最初に作者の写真集からのスライド。sexというタイトルらしいけど海や波のそれらしいモノクロ写真撮っただけでとりたててどうということもない。
 その後は動物と食べ物の写真がほぼ交互に出てくる写真。未発表と言っていたけど、これ、発表するつもり?まるで夏休みの写真日記。子供の絵日記のほうがまだあざとく巧み。
 
 ここで出ようかとおもったけど豊田道倫見たさに我慢。

 最後がもう本当にひどい。友人の結婚式の写真らしいけど、これを「作品」と呼ぶ神経を疑う。
 スライドを上映しながら喋ります、ということで説明を加えるのだけど、「右が新婦の家族でー、左が新郎の家族です。」
 あほかー!俺になんの関係があるんじゃー、と思ったけど、せっかくお金を払ったし、見ず知らずの人に友人の結婚式のスナップを有料で見せる、というとてもおかしな状況を居直って楽しもうかと思ったけど、無理。
 豊田道倫登場までの間、会場を脱出しました。

 極私的な写真は作者本人を感じさせる事もできるし、作者本人に迫ることが出来る写真ならば世界そのものにも迫ることも出来うる、とは思う。

 でもこの女の子(と敢えて言います。写真好きな女の子)は対象物と自分の関係を見据える努力を全く放棄している。

 友人の結婚と自分との関係が自己完結してしまって、それを対象化できていないから他人には何のことか分からない。

 スライドとはいえ殆どの写真が色がぼけ気味だったのも気になる。スライド・プロジェクターの性能のせいかもしれないが、そんなことはこちらには関係ない。スライドで出来ないならば他の手段を考えるべき。

 ほんとうにひどかった。
 終わって拍手があってまたビックリ。賞賛する要素がどこのあるの?怒っていたのは俺だけか?俺には分からない良さがどこかにあったのか?

 
 数年ぶりでみた豊田道倫は大変良かった。

 なんというか、失礼な言い方だけど、声が良いわけではない、取り立てて曲が良いわけではない、歌がうまいわけではない、だけどなぜか引きつけられる。
 本人も言っていたけど魔球ですね。

 歌詞に出てくる言葉が、どう言ってよいのか、「肌肌しい(そんな言葉はないけど)」感じがする。肌と肌をくっつけて伝えられているような。
 なんとなくエロチックな印象になってしまうのはそのせいか。

 スライドしていた女の子と違い、とても極私的なことを一回自分から突き放して対象化して、それからまたさらに自分の内に納めてしまう、ということをすらりとやっているような気がする。

 とても映像的。

 アンコールでスライドショーと一緒にやりますと言われて、そんな、とんでもない、と思って出ました。

 豊田道倫の歌だけで充分に映像的なのに、とても貧しい写真が添えられると台無しになると思って。

“ひどかったなーと良かったなー。” への4件の返信

  1. 失礼します。はじめまして。

    高志と申します。単なる一音楽ファンです。

    <<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<< 鶴岡法斎の『放浪都市』
    自分にとっての「ノイズ音楽」。そしてアルケミーとアロマ企画
    http://blog.goo.ne.jp/t-housai/e/5506c6729e1cd1bfa19b04963af7f5c5

    <<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<
    過剰な発火点 手の届かないところにある

    孤独が 残しておきたいと思うすべてのものを差し出せと要求する

    車で出かけ 何が見つけられるか調べてみよう

    希望と過去の欲望を集めた価値のないコレクション

    ぼくはまったく気づかなかった 進まなければならない距離に

    ぼくの知らない感覚の あらゆる暗い片隅で

    ほんの一瞬 誰かが呼ぶのを聞いた

    今ここにある日の向こう側を見た

    そこには何もなかった

    ぼくにはわかった どんなふうにすべてはおかしくなっていったのか

    だから治療法を見つけなくては この処置には時間がかかりすぎる

    心の奥では 何かに対する共感が支配していた

    自分の運命を探さなくては 手遅れにならないうちに

    ジョイ・ディヴィジョン/24アワーズ(訳・伊藤英嗣)

  2. 高志さん、こんにちは、はじめまして。

    コメント有り難うございます。

    でも申し訳ないのですがコメントの趣旨がわからないんです。

  3.  んー、そうですね。説明不足過ぎて、趣旨がわからないですよね。僕もまだまだ修行が足りないようです。すみません。

     鶴岡さんの音を僕は聴いた事がないから、評価は出来ないけれど、「ただ自分の気持ちいい音をならべているだけ」では、相手には何も伝わらないんじゃないかな、と思うのです。

     こんなヘンな事をやってるんですよー、みたいなのはダメです。

     聴く人がいなければ、音楽家は成立しない。だから、聴く人にも「共有」できる意味のある「音」を出そうという意思を、「表現者」は自覚しないと、ダメなんじゃないかな、と思ったのです。

     最近は裸のラリーズのブートが随分、出回っているみたいだけど、裸のラリーズが何を伝えたくて「演奏」をしていたのかを、ファンは、汲み取ってあげないと、ダメじゃないかな。

     ラリーズの音や形を真似るだけでは、それこそ、音楽は形骸化してしまうし、ラリーズでも村八分でも、演奏してた人達の意思をわかってあげないと、それこそロックは「希望と過去の欲望を集めた価値のないコレクション」になってしまうんじゃないかな、と。

     何だか最近は格好ばかりつけて、「必然性」の無い表現が多すぎるのじゃないかな。

     そういう軽率な人が「表現者」として、「伝えたい意思」と「表現力」を努力して身に付けた「本当の表現者」と、同じ土俵にあがっちゃってたら、「本当の表現者」まで、巻き添えをくらうんじゃないかな、と心配なのです。
     
     ただ、最近どうも音楽が死に体になっちゃってる様な気がして・・・

     死んじゃってから「ダメじゃん!」って言うのでは、遅すぎると思う。
     

     すみません。何かムチャクチャ偉そうな事書いちゃって(苦笑)

  4. ごめんなさい、まだちょっとコメントをして下さる意図が分かりません。鶴岡さんという方は存じ上げませんし、いきなりその方の名前が出てきてもとまどいます。

    高志さんの意見は分かりますが、それにどう御返事して良いのか、申し訳ないんですが判断できません。

    ちなみに「裸のラリーズ」「村八分」に関しては個人的には全く興味の対象外なんです。

    抗鬱剤に関する記事はこちらに関係ないことだと思われます。こちらで記事に対する責任をとれませんので、失礼ですが削除させていただきます。

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