ちょっと間があきました、メロディーやアーキテクチャー・イン・ヘルシンキのこと

ちょっと間があきましたが、いろいろ。


 書き込みをしない間に、「津山篤やりっぱなし」や「シカラムータ」のライヴに行ったり(両方とも楽しいライヴでした。)、夏に計画中の皆さんお待たせのあのツァーの打ち合わせをしたり。
 しかしそのツァー、日程的に難しいかも。夏は無理でも今年中にはなんとか。

 シカラムータのライヴでまだ持っていなかったゴースト・サーカスをいただく。大熊くん、みわちゃん、くれと請求してすみません。

 ライヴで聴いてもCDで聴いてもやっぱり「不屈の民」と「平和にいきる権利」は良い曲だと再認識。
 歌の背景やキラパジュンやヴィクトル・ハラのことを知らなくても感動する。

 革命歌や労働歌というモノは軍歌にもなる得る危うい境界状に在るとは思うけども、この2曲は根本的に違うような気がする。

 どんなアレンジでも受け入れながらもそのメロディーから受ける感動が全く揺らがない、というのは、実はどんなアレンジでも全く同じようになってしまうという硬直したメロディーを持つ軍歌や一部の革命歌とは、作曲における基本的なスタンスが全く違うと思う。

 強靱なメロディーということがどういうことかちょっと考えてしまった。メロディーは作る人の思考のあり方が一番反映してしまうものだと思う。

 ある雑誌を立ち読みしてmap小田君の紹介文を読んで「アーキテクチャー・イン・ヘルシンキ」の”in case we die”を購入。

 なんとなく心の琴線に触れる場所が同じなような気がして、小田君の誉めたCDは一応チェックしている。

 オーストラリアの8人組み、アーキテクチャー・イン・ヘルシンキ、大正解でした。
49アメリカンズやマヘル・シャラル・ハシュ・バズをも思わせるチープでヘタッピィーでのほほんと明るい一枚。
 
 でもただのへたうまじゃない。チープでヘタッピィーな部分と綿密で巧みな部分とのバランスの取り方が素晴らしい。
録音だってよく聞くと細かい音処理をしている部分が結構あるにもかかわらず、ブラス・パートはどう聴いたってマイク1本1トラック一発で録ったとしか思えないところも沢山ある。

 一番良いのはそういう実は綿密なプロデュースをしているにもかかわらず、全体がどこまでものどかで楽しいこと。

 ライヴ見たいなー。ものすごく楽しそう。

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