グリッチ、「アート系」?

ちょっと風邪で体調を崩していたので書き込みが出来ず、古い話になりますが、先週のshin−biでのGiuseppe IelasiとThomas Ankersmit、バスラッチに関して。


Giuseppe IelasiとThomas Ankersmit、率直に言うと全く面白くなかった。「グリッチ」が一般的になって(グリッチ−電子回路中に現れる、接触不良などに伴う雑音のこと。また、 そのような音を素材にして作られた電子音楽を指すジャンル名。-はてなダイアリーによる。)とにかくそれらしい音さえ出せばなんとかなる、と言ったような印象。

 パッチ・シンセをPCに通してそれらしい音は出してはいるけど「なんかガサゴソいわせっとたらええねん。」という感じにしか聞こえない。サックスの倍音とシンセの持続音を相互干渉させようとしてと思われる中盤も全くうまくいかず、ただ単に誰かがすでにやっていたことを真似ているだけとしか思えない。
 
 ギターもだるい演奏。どちらも演奏する意志が感じられない。よくこういう電子音楽は「アート系」と揶揄されることがあるけど、それは要するに演奏する意志と細部を捉える努力を放棄しているからだと思う。
本当の「アート系」だったら意志も努力もみえるんだけどね。揶揄する表現としてしか使われないのもこういう演奏がはびこっているからだと思う。

それからしたらバスラッチの不器用で無骨な演奏の方が新鮮にきこえる。なにしろ全て物理的な音ですからね。ターンテーブルの回転数以上のことは出来ないし。

 「何でも出来る不自由」と「出来ることが限られる自由」を見たような気がします。

 ただバスラッチも20〜30分程度の演奏でマンネリ気味なので、もっと短いセットを何回もやるとか、長い時間やってみるとかいろいろやってみたらいいと思う。

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