drillman Q-ZOくんの葬儀予定

ここに生前のご厚意を深く感謝し 謹んでご通知申し上げます
通夜 3月15日午後6時半〜
告別式 3月16日午後一時
中央ブライトホール 公益社 東山五条
喪主ふたばよしえ

ということです。賑やかなことが好きだった彼なので大勢で見送りましょうか。

キュウゾウと初めてあったのは彼が未だ中学生の頃だから30年近く前になるか。

西部講堂にいつの間にか出入りしてて、いつの間にかギターを手にして、いや音楽をしたくて西部講堂に出入りするようになったんだよな、そしていくつかバンドをやっていて、気がついたらキュウゾウの最後のバンドになったdrillmanのCDを2枚(リマスター盤も含めると3枚)リリースしていた。

本名のヒサミチの読み方を変えてキュウドウ、それがなまってキュウゾウ、出会って3回目くらいでそう読んでいたからもしかしたらずっとその名前を使っていたのかな。

楽しいことが好きで全力でなんでも楽しんで基本的に真面目にいろんなことに取り組んで、でもとてもだらしなかったな。

ものを貸しても返ってくることはまずない。

CDやレコードを何枚なくされたことか。でも貸す度に全力で聴いて全力で楽しんでくれた。
北欧の電子音響のコンピを貸したときには「あんまりきれいなんで涙が出た」といっていた。アブストラクトな電子音でだ。
池田亮二を貸したときには「これこそ新しい音楽だ」と興奮してくれた。

いつも大声でつばを飛ばしながら感想を言ってくれるんで、返してもらわなくっても「まあいいか」と思うようになった。

何年もたった後に全然違う人間から「これキュウちゃんから回ってきたから」と返されることもしばしばだった。
だまって又貸ししとんのか、と思ったけど「まあそれでもいいか」。「キュウちゃんに勧められてん」と聴けば、自分の好きな物をうまいことひろめてくれてるんだと思うようになった。

でもやっぱりだらしないよな。酔っぱらって線路の上を車で走って脱輪、それでも事故にも怪我にもならなかったり、変な運の強さがあって、たぶん周りも本人もその運の強さに甘えてたのかもしれない。

意識が無くなってから一度も見舞いに行かなかった。キュウゾウのことだから絶対意識は戻る、見舞いになんか行くと最後の別れをしに行くみたいでいやだった。絶対元に戻るからその時見舞ってやろうと思ってたんだけどな。

見舞いに行った人は大抵「キュウちゃんハッピーな感じで寝てるよ」と言われたけど、そうか、とは思ったが絶対ハッピーじゃないよな、多分見舞いに行った人がそう思いたかったんだろうと思って余計に行けなかった。

一度くらい顔を見に行ってあげたら良かった。

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