批評?

晩飯を食べに行った処で何気なく漫画雑誌を見ていると、映画評論家の大御所(双葉十三郎だったけ?)のインタビューがあったんで読んでみた。
その中で周防監督の映画が好きだ、と言って「なんだって”シコふんじゃって”まで見ているんだから」と自慢していた。


これは、通常の一般人はその存在も知らないだろうものまで(本当はそうじゃないのにね)自分は見ている、という自慢と、彼の中では”シコふんじゃった”は自分にとってそもそも見る価値のないモノであったけどそこまで自分は見ているということの、これまた自慢が満載の発言だと思った。

批評家の役割とは一体なんだろう?批評とは自分の曖昧な審美眼を自慢するためだけのモノでもないし、さらにまたどうでも良い(としか思えない)データを提出するだけのモノでもないはずだ。

音楽批評になんの期待もしなくなったのはFilamnetBOXが全く音楽ジャーナリズムから無視されたことで決定的になったけど、それ以前にもあった。

その映画評論家の発言と同様の、音楽の本質に迫るのではなくて、自分がいかに確かな耳を持っているかどうかをことさら表明するだけだったり、何年にライヴがいくつあったとかメンバーが誰と交流があっただとかのどうでもいい情報の数をきそうだけだったり。

特に後者のような自称批評家はとても多くなって自分で○○史家とまで称しているヤツまでいる。

批評が果たす役割とはなんだろう?批評なんているのだろうか?作り手も聴き手もうっすらとは気がついていてもその実体がわからないことをハッキリと指し示してくれるならば良い。ならば作り手も聴き手も先に進めるから。

先にも進みようのないモノを垂れ流す事が必要だとも思えないし、それに一喜一憂することも愚かなような気がする。

だから多分いろんな雑誌のベストなんとかにはsee you in a dreamはとりあげられるだろう。しかしもうそんなことには興味がないし立ち読みすらしないと思う。

FilamentBOXを一切無視した批評家達がsee you in a dreamをどれだけ取り上げても信用できない。

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