オロナミンCの空き瓶

 ずっと書こうか書くまいか迷ってたことがある。そのことと自分との関係が結果的に中途半端になってしまったこと、人の生き死にに関わること、その他いろんな事情が、安易にこの件にふれていいのか迷っていた原因だ。

 しかしネットでミュージシャンが安易に暴力で自分の行動を肯定したり、それどころか「親戚一同殺してやる」などというような甚だしく情けない発言をしてるのを見たりすると「暴力」の行き着く先をちゃんと見た方が良いのではないか、本当の「暴力」がどんなに陰湿で後を引くか考えた方が良いのではないか、と思った。

 その話とは山谷の話。映画「山谷〜やられたらやりかえせ」については自分で調べてください。ここではその事件の背景や顛末については触れません。ただ状況は昔と変わらないし、多分もっと悪くなっている。

 当時、劇団「風の旅団」(これも自分で調べてね)の制作をやっていた関係で、ある時その映画の二代目監督である山岡さんと山谷で会った。
 なにを話したかは覚えていない。多分3時間も話さなかったと思う。

 山岡さんが殺されたという連絡のを受けたのはお会いしてちょうど一ヶ月後。一ヶ月前に話した人が殺された?どういうことか分からずとりあえずお葬式に駆けつけた。

 その時にみた山岡さんの顔には左ほおとこめかみに銃弾の穴が空いていた。その光景は今でもはっきり覚えている。ほんの一ヶ月前に話した人が今ここで顔に穴を開けて横たわってる、その事実をどう受け止めて良いかわからず呆然としていた。気がつかないうちに涙が流れていた。

 なにかおもいっきり理不尽だと思った。

 ウィキペディアではこのことにも触れられているが実はもっと深刻な事実がある。

 当時一緒に歩いていた人(その人は以前からよく知っていた)も一緒にねらわれたこと、必死で何とか逃げて近くの交番に駆け込みすぐ手配してもらうように頼んだが警官は薄ら笑いをして連絡しようとしなかったこと、そのため手配が遅れ犯人が逃れられたこと、後で出頭してきた人間はどうも身代わりであると思われること。

 警官が何故すぐ手配しなかったのか、それは山岡さん達が警官の思う市民ではなかったからだ。警察は市民の味方かもしれない、しかし市民かどうかを決めるのも警察だ。市民ではない人間は警察にとってどうでもいい、いやどうでも良いどころか存在することさえ許さない。もっと陰湿な事実も考えられるがここでははっきり書かない。

 日雇い労働者はその頃も今も「棄民」としての扱いしかない。日雇い労働者の組合を作った山岡さんなど警官にとって排除されてしかるべき存在だったのだろう。

 その後、映画も完成しヤクザとの戦いは激しさを増していた。そのころもう定職に就いたばかりで自由に動けなかったから映画の上映という後方支援をすることにした。16mm映写機の使い方を覚え、他の支援者と一緒に上映実行委を立ち上げ関西で何度も上映した。

 そんな中、現地からの連絡はどんどん緊急性を増してくる。それを聞いて山谷に行くべきかどうかずいぶん迷った。それにはその時の生活を全て捨てていかねばならない。それに行ったところで果たして役に立つのか、それならばここで現状を広く知らせるために上映運動をしっかりやろう、そう思ったのだが、やはり本当はビビっていたのではないかという気持ちが今でもある。

 現地からの報告はもう信じられないことばかりだった。軍手を持っている人間が凶器準備集合罪で逮捕されたと聞いたときには、日本はなんと無茶苦茶な国かと思った。土木作業に関わる人間が軍手を持っているのは当然だし、そもそも軍手が何故凶器になるのか?

 もちろん起訴など出来ない。しかし何日かは拘留される。不当逮捕だと訴えても何日か拘束されるのは変わらない。

 なのにヤクザ達は武器を持っている。ゴルフクラブや金属バットを構えたヤクザの前に機動隊が陣取り、軍手すら持つことを許されない日雇い労働者の前に対峙していた。

 機動隊の名目は暴動が起きないようにということだがその光景は明らかにヤクザの応援だ。

 友人がふたり頭を殴られ頭蓋骨骨折で後遺症が残った。一人は車いす生活になった。それについてはなぜかどこも報道していない。他にも単独行動をしていた人間が何人か襲われた。

 そんな中でも路上で寝るしかない労働者の保護や食事の世話で街を見回ることをやめなかった日雇全協のメンバーや支援者の、唯一の身を守る武器はオロナミンCの空き瓶だった。だって軍手すら持てないのだから。飲料水の瓶ならばどう考えても「武器」とは見られない。

 オロナミンCの空き瓶に水を入れたものをポケットにはいるだけ入れていざというときの武器にしていた。

 ヤクザ対日雇いのただのけんかだといった人がいた。とんでもない。もっと大きな力が日本にその存在を認めない「棄民」達が自分の声を上げる、そのことすら許さなかったのだ。

 暴力肯定ではないかという人もいた「やられたらやりかえせ」というタイトルは、そうじゃなくて今までやられっぱなしだった人間の初めての声だったと思う。

 暴力の果てである殺人、そしてその裏にあった大きな力、それによって存在すら無いものにされること。それでもオロナミンCの空き瓶を頼りに抵抗していた人々のことを考えると暴力の無意味さを痛感する。

 どんなに小さくとも暴力は暴力だ。行き着く先に変わりはない。「排除」や「駆逐」などという言葉が音楽家から出ると本当にがっくり来る。自分と合わない人間を暴力で排除する先は確実に荒野だ。排除したと思ってもどんな人間でもオロナミンC程度の意地も考えもある。暴力では決して変わらないモノもある。

 山岡さんの顔に空いた穴を忘れられない。

“オロナミンCの空き瓶” への3件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。